手術 4

胃カメラを次にやるようなことがあればその時は絶対に全身麻酔のとこでしかやらない。
2回目の胃カメラを終えた時に固くそう決めていた。
でも結局3回目もそうはならなかった。
ここの病院では全身麻酔での胃カメラはやっていないとのこと。諦めるしかない。。。
初めて経験した時の胃カメラはまさに地獄だった。
まあ胃カメラを飲むはめになったのは完全に自業自得だが。。
成人式の日。その日の夜の打ち上げでの出来事。
とにかくみんなテンションが高かった。俺も含め30人くらいはいて高校の同級や中学の同級、なかには全く知らない人もいたため何の集まりなのかは分からなかったが楽しくハイテンションに酒を飲みまくった。
今は4、5年前に酒を止めたため飲む機会は全くないが、あの頃から2、3年の間の酒の飲み方は無茶苦茶だった。
そのため潰れることも多かった。特にこの日は調子に乗り過ぎてイッキ飲みをやりまくり、しばらく続けているといつのまにかトイレから出られない状態になり、吐きまくり、泥酔した。
友達に抱えられ店を出た瞬間もまた吐いた。
と思ったら大量の血を口から吐いていた。
結局この日から3日間は高熱が出て動くことも出来ずにようやく4日目に詳しく調べるため胃カメラを飲みに行くことに。。
前にも無呼吸症候群の時のブログに書いたが、喉の通りが細いため、胃カメラを飲む時にはなかなか喉を通らず、何度も、何度も、何度も、何度も吐きながらようやく通り検査が出来た。
結果は。。その日何度も吐いていたため吐きすぎで喉が切れて血が出ていたとのこと。それ以外はキレイなもんで全く問題なかったらしい。
この成人式の日の無茶な飲みのせいで結果飲まなくて済んだ胃カメラは飲むし会社も合計1週間も休むはめに。
当然上司にも怒られた。
こんなバカな経験は一度でいいもののまた調子に乗り同じ過ちを繰り返し2回目。そして今回が3回目。
とにかく地獄の胃カメラもたくさん吐いてたくさん泣きながらも何とか終わり、他の検査も全てこなし、いよいよ翌日手術となった。

手術 3

手術の2日前からの入院が決まった。
初めてのカテーテル手術ということもあり、詳しく検査しておくのと手術前検査というのも色々あるようで早めの入院となった。
前回手術日を決めた時には一人で来たが、今回は嫁やうちの両親も一緒に車で行くことになった。
気楽さで言えば前回のように一人で新幹線で行くほうが楽で良かったが、心臓の手術で入院ともなればさすがに両親も心配し入院についてくることとなった。
そして手術の日と退院の日にもまた来てくれるらしい。
そんなことならやっぱりもっと近い病院のほうが良かったとも思ったが、遠いため他に見舞客はないためそこは気を遣わせずにすむし気楽でいいなとも考えた。

人生初の入院。夜はちゃんと寝れるのか?飯は普通に食えるのか?
そんなたいしたことのない不安を抱えながらも入院生活へと入っていった。
今から15年以上も前のことなので、手術前の検査は何をやったかまでは正直よく覚えてはいない。
あちこち色んなとこを病院内でまわらされたことと、後は当たり前の心電図や24時間心電図、エコー検査などはやったが、そんな普通の検査はこれまでもよくやっていたため自分の中では、やっぱりやるよね?といった感じだった。
ただ、一つの検査だけは強烈によく覚えている検査があった。胃カメラだ。。。
心臓の手術に胃カメラなんて必要ないんじゃ?と思いながらも胃カメラは手術前の検査の項目に最初から含まれているのだから断ることなど出来るはずもない。
胃カメラに関してはこの時人生3度目の経験だが、何度経験しても絶対に慣れないどころかただただ苦しいものだった。

手術 2

仕事の都合もあり、紹介状を持って岡山県榊原病院へと行けたのはそれからちょうど1週間後のことだった。
地元の駅から新幹線で1時間ちょっと。岡山駅からタクシーで5~10分といったとこだろうか。
街中にある病院ではあるが、岡山城や後楽園もすぐ近くにあることから緑も多く落ち着いた雰囲気のある場所だった。
紹介状があるとはいえ、予約をしているわけではないため通常の外来診療。心臓の榊原と言われるだけあって外来診療されている方も多く正直びっくりした。
心臓系の外来でこんなにも人がいるのか。。

紹介状をもち朝一から受付をすませたが、結局受診出来たのは午後になってからだった。
そしてようやくまわってきた順番に紹介状を渡し詳しく状況を説明した。
時間にすると10分程度だったが次に出てきた先生の言葉は
「じゃあ手術はいつ行いましょうか?」だった。
思わず「検査はしないんですか?」
と聞いたが、今は症状は起きてないから検査をしても分からないし、この心電図を見る限りだいたい分かるから。
後は手術前に入院してもらって検査していくので、と言われた。
あっさりと手術日も決まり正直戸惑っていた。
10年も苦しんできたのに。。
でもこれで治る!!
この時はそう信じていた。

手術 1

翌日、早速ポータブル心電図をもってかかりつけ医に受診した。
このポータブル心電図を持つことは事前に先生にも話していたし、賛成もしてくれていた。
地元では一番大きな国立病院での受診。
これが何度目の受診だろうか。そして同じ検査を何度行ってきたことか。。
この日は検査を行うことはなかった。
先生から見ればこのポータブル心電図での結果だけでおよその症状はすぐに見当がついたらしい。
そしてこの症状を治すためにはカテーテル手術を行うしかないらしいのだが、ここで大きな問題に直面することになった。
今でこそカテーテル手術はどこの県や市でも行われているようだが、当時はまだそこまで普及しておらず地元の病院どころか、山口県県内、両隣の広島、福岡県でも手術は行っていないとのことだった。
もちろんこの病院の繋がりのある病院でということらしいが、とりあえずカテーテル手術を行う病院が少なかったのは確からしい。
結局いくつかの病院に連絡をとってくれてある一つの病院を紹介してくれることになった。
そしてその日のうちに検査結果などを書いた診断書や紹介状を書いてくれて手術の出来る病院を紹介してくれた。

病院は岡山県にある榊原病院
岡山城や後楽園からすぐ近くにある病院でこれは帰ってからネットで調べて知ったことだが、心臓の榊原と言われるくらい全国的にも知名度の高い病院だった!
地元での手術は叶わずけっこう遠い場所へ行くことになってしまったけど紹介してもらえただけでも正直ありがたかった。
ちなみなこの頃よりもう一昔前だとカテーテル手術もまだなかったため胸を開いてでしか手術が出来なかったらしい。

転機 4

購入してから1週間くらいしてまた大きな動きが起きた。
念願のというか、ついに計測出来る時が来たのだ!
相変わらずメチャクチャ苦しく、倒れこみながらも持っていたポータブル心電図をすぐに起動し、横になりながら心臓へと当てた。
この日は運良く仕事も休みで家にいて嫁もいたので嫁も一緒に見守ることに。。
当てた瞬間に嫁の表情が忘れられないくらいに、この24秒間の記録は生涯忘れることはないと感じるほどに耳にも目にも鮮明に焼き付いた。
当てた瞬間。。
ピピピピピピピピピピピピピピピピピピ。。。。
誤作動でも起きたのかと思うくらいに異常なほどの脈拍を計測していった。
そして24秒後に出た結果は誰が見ても明らかなほどの脈拍異常。
通常成人男性の脈拍は1分間に60~100と言われているが、この日の計測は300~400。
後で聞いたことだが、ここまで脈拍が一気に上がれば動けなくなるのは当然のこと。それどころか失神してもおかしくないレベルだとも聞いた。
ポータブル心電図の計測結果のコメントにも最悪評価のただちに受診してください。
今まで練習でやった時にはいつも異常は見つかりませんでした。という評価だったので、ようやく辛い思いをして結果を出せたことが素直に嬉しかった。
ただし素直に喜べたのは体調が回復した2時間くらい後の話ではあったが。。

転機 3

この日の夜、嫁と話し合い1つのことが決定した。
社会人サッカーを辞めること。
運動が心臓に負担をかけることは間違いない。でもそれが不整脈と関連があるかは分からない。
ただもしまた試合中になったら。。
正直自分自身も怖くなったのもあり20年近くやってきたサッカーを終わらせる決断をした。
まさかこの日の前半が最後のプレイになるとは。。
でも周りへの迷惑を考えたら仕方ないし、何よりこの時上の子が3、4歳ぐらいで守るべきものもある。
からしたら受け入れるしかない現実もそこにはあった。

この日の大きな不整脈からくる動悸が今後この先またいつ起きるとも限らない。かといって起きた時にすぐに病院へ行けるとも限らない。とにかく一刻も早く原因を探しだしたかった。
そんな時たまたまではあるが、ポータブル心電図の存在を知った。
詳しく調べてみると、医者からも信用性が高いポータブル心電図もあり迷わず購入した。
購入してからは肌身離さず持っていた。仕事中はもちろん、家にいてトイレ行く時にも持っていたし、風呂に入る時には浴室の扉の前に置いていた。
操作も簡単で、電源を入れ片手で握り心臓に当てるだけ。
これだけで心電図がとれる。
24秒間だけしか記憶されないタイプではあったが、症状が出た時のことを考えたら十分足りる。
練習として何度も試したし、後は次に起きるのを待つだけだった。
不整脈からくる動悸が起こるのを待ち望んだのは恐らくこの時が最初で最後だったはずだ。

転機 2

試合が終わり出場していたメンバーもみんな俺の車へと集まってきた。
その頃には脈拍はかなり落ち着いていたが、周りの景色や人の色は元には戻らず、相変わらず苦しい状態が続いていた。
それでもこれ以上心配をかけたくなかった俺はとっさに嘘をついた。
「昨日の酒が気持ち悪い。寝てから帰るけえみんな先に帰っていいよ」
本当にしょうもない嘘だった。社会人サッカーをやるようになってからは試合がある1週間前からは酒は一滴も飲まないと決めていた。
だから当然前日に飲むなどありえなかったのだが、一番てっとり早いと感じた嘘がそれだった。
それでもその嘘は納得させるには効果大で、思った通りみんなは心配はしながらも冗談も言える状態にもなり、少しの間そばにいてはくれたがみんな帰っていった。
心配してくれたことは素直に嬉しいが、正直周りを気遣う余裕は全くなかったため早く一人になりたい。
そう思いながら倒れこんでいた。

みんなが帰ってから何時間が経過しただろうか?
その間1、2度起き上がろうとしたが、起き上がれる状態になく諦めまた倒れこんだりもしていた。
あの時みんなにバレることも気にせずにピッチに横になりさえすればこんなに長引くことはなかっただろう。
結局その日は3時間以上も車で寝込み、最後はようやく体を動かせるようになり、周りの景色も元には戻ったものの車で自力で帰るにはあまりに不安で、嫁を呼び家へと連れて帰ってもらった。
当然のことながら、何でもっと早く呼ばないのかと怒られた。
初めて倒れた時からこの時、10年近くが経過していた。